断捨離ログ5日目、猫ちゃんカバー

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こんにちは、おさじです。昨日から「おさじと名乗ろう」と思い立って、そう名乗っています。いつまで続くかは分かりませんが、以後お見知りおきを。

 

さて断捨離ログ、5日目となりました。だんだんコツが掴めてきた気がします。

 

 

今日の断捨離はこちら

猫ちゃんカバー

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どこだったかは忘れましたが、100円ショップで買ったものです。

 

靴下みたいな見た目をしていますが、恐らくペットボトルカバーです。キッチン用品コーナーにあったので、そういうことだと思って使っていました。

 

 

「かンわいい!!」と一目惚れして買ったのですが、登場回数は少なかったです。

 

私は時々不思議なものに一目惚れしてしまうことがあるのですが、これも例外なくその1つです。

 

 

断捨離する際に「残す理由」と「残さない理由」を考えるようにしています。「残さない理由」の方が多かったら、断捨離です。感謝の気持ちで手放します。

 

残す理由
  • 可愛い
  • ペットボトルカバーになる

 

残す理由は2つしか見つかりませんでした。

 

前回のキャミソールや、さらに前のポーチでも触れたように「可愛い!」と思うと、つい手を出してしまうのが悩みどころです。可愛いは正義ですが、正義だけでは部屋は片付きません。

 

 

残さない理由
  • ペットボトルにカバーをする必要がない
  • ペットボトルを持ち歩かない
  • 滑って落としやすい
  • ちょっと恥ずかしさを覚えた

 

まず前提として、ペットボトルにカバーをする必要が無いんですよね。

 

水滴でバッグの中身が濡れる、とかそういう悩みを解決するものだと思うんですけど、ペットボトル持ち歩かないので。

 

いつも水筒にお水や白湯を入れて出かけるので、ペットボトルを買うこともないし、全く不要なんですよね。

 

でもせっかく買ったし、と思って水筒に着させてみたんですけど、まあ違和感。しかもなぜか滑りやすくなったんです。逆効果ですね。

 

買った時は「カンワイイ〜」と大興奮だったんですけど、月日が経つに連れ、なんとなく恥ずかしい思いがして来ました。

 

 

 

今回の教訓

もう20代も後半ですし、ファンシーな小物を持つのはそろそろやめようと思います。

 

好きなものと年齢は関係ない!と思うかもしれませんが、私には私なりの理想像があって、少なくとも思い描く「理想の20代後半」は、ファンシーな小物を持っていません。

 

 

それから100円ショップでの買い物を控えるというのも、今回の気づきです。

 

めったに100円ショップ行かないんですけど、たまに何かのきっかけで行った時、今回みたいな「要らない一目惚れ」をしてしまうんですよね。

 

でも心の癒しにはなりました。

 

 

 

愛用している水筒 

せっかくなので、猫ちゃんカバーを付けていた愛用ボトルもご紹介します。

 

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mosh!ボトル

こちらのボトルは mosh! というもので、株式会社ドウシシャから販売されています。真空二重構造によって、12時間くらい保温・保冷が持続するスグレモノ。

 

ヤクルトみたいな優しいクリーム色と、丸みを帯びたフォルムが可愛くて、もちろんこちらも一目惚れです。可愛い!!と思ってすぐ買いました。一目惚れなのに成功した、特殊な事例です。

 

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mosh!公式より

 

熱過ぎて飲めない時もあるほど、保温性バッチリ。飲み口も広く、使い勝手がとても良いです。

 

レトロなデザインもお気に入り。ステンレスなので錆びにくいのもいいですね。

  

 

このボトルは今のところ「理想の20代後半」が持っていても許容範囲なので、まだまだ使い続けようと思います。

 

家ではもちろん、外出時や、キャンプにも持って行きます。

 

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mosh!公式より

 

他の色も可愛くて、ついポチってしまいそうになるんですよね。

 

でも、1つを長く愛用したいし、何より断捨離中なので、しばらくはヤクルト色のアイボリーを大切に使おうと思います。

 

 

 

 

 

まとめ

猫ちゃんカバーを手放すのは心苦しいですが、埃を被って忘れられる方がずっと可哀想です。今までありがとう、猫ちゃんカバー。

 

ではまた。

 

断捨離ログ4日目、ちょっとえっちなキャミソール

こんにちは、おさじです。今日からそう名乗ることにしました。期間限定で終わるか、定着するかは、これからの私次第です。よろしくお願いします。

 

さて、断捨離ログ4日目。毎日とか言って、更新できてない日がありました。すみません。人生山あり谷ありで、ひたすら悩んで過ごしています。

 

今日の断捨離アイテムはこちら

 

ちょっとえっちなキャミソール

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ちょっとえっち、って言ってるけど、特にアダルト要素はない普通のキャミソールです。でも私の中では「ちょっとえっち」な感じがしています。なぜかは分かりません。

 

このキャミソールはお気に入りでよく着ていたのですが、去年あたりから急に胸元のお花たちがザワザワと気になり始めて…。

 

キャミソールは下着のラインを見せないためにも、そして汗を吸収して快適に過ごすためにも欠かせないアイテムです。

 

ですがこのキャミソールは、そのどちらのポイントも全くクリアしていないことに気づきました。完全に見た目だけで愛していました。

 

キャミソールに付いたレースのお花たちが服の上からも目立ってしまい、見た目的にもちょっと格好悪いです。

 

 

それから、無印良品で手に入るコットンのキャミソールも愛用しているのですが、汗の吸収はそちらがやっぱり最強でして。

 

もうこれからは、コットン以外の生地に決して汗を吸わせない。と強い決意と共に、ちょっとえっちなキャミソールは手放すことにしました。

 

ただこのキャミソールの最大の良さは、着ている間ずっと「私は超可愛いキャミソールを身につけているの」という自信に包まれることです。

 

見た目だけでなく、機能を重視するようになりました。大人になった証拠かもしれませんね。

 

ではまた。

 

断捨離ログ3日目、おまけのポーチ

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断捨離3日目。

 

初日はホテルのアメニティで掻っ攫って来たヘアバンド、2日目は歳相応では無くなった赤いワンピースとサヨナラしてきた。

 

本日も張り切って手放したいと思います。

 

今日の断捨離はこちら。

 

 

ノベルティのポーチ

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こちらはPEACH JOHNでお買い物をした時ノベルティ、つまりは「おまけ」でいただいたポーチです。

 

フィッティングから終始丁寧な接客をしてくれた店員さんから「あと千円分ご購入されますと、可愛らしいポーチをお付けできます!」と言われたのだけど、私はこういう「おまけ」はなるべく断るので、最初も断った。

 

それでも店員さんは「でも本当に可愛いポーチなんです…上品だし、使いやすいし…千円分でしたら、こちらのボディクリームやルームスプレーでも構いません!…どうですか?ちょっとでもいいな、と思ったら、どうか是非、あと千円分を…」と涙ぐんでいた。

 

ノベルティ配布をノルマに課せられているのか、それとも売り上げを少しでも上げたいのか、はたまた単に「かわいいポーチを使って欲しい」気持ちからなのか全く分からなかったけれど、そこまでお願いされるのだったら少し考えてみようかしら、という気持ちになった。

 

 

結局、何をどうやって「あと千円」をクリアしたのかは覚えてないけれど、こうして手元にノベルティの可愛いポーチがやって来た。

 

たしかに可愛い。サテン生地で上品で、たっぷり入る。しかし使い道がよく分からない。

 

 

旅行用として使えばいいのかもしれないが、あいにく旅行アイテムはすでに席が埋まっている。

 

バッグインポーチとして使うのも考えたけれど、微妙に場所を取る大きさなので、普段使いしてるお気に入りのバッグには入らない。

 

 

可愛いけど、活躍する場所が無かった。

 

仕方のないことだと思う。だって「おまけ」だから。どれだけ可愛くったって、最初から使う目的で購入された他のポーチ達には敵わない。可愛いだけでは、可愛いだけなのだ。

 

 

そういうことで引き出しの奥に仕舞っておいたノベルティのポーチは、これを機に手放すことにした。

 

次からは「あと千円」の甘い攻撃にも動じない、鎧の心でお買い物をしよう。

 

 

ではまた。

断捨離ログ2日目、赤いワンピース

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こんにちは、kiiaです。断捨離日記、2日目。危ない危ない、忘れるところでした(ほとんどアウト)

 

さあ、張り切って今日も断捨離していきましょう。

 

1日目はとりあえず目についたヘアバンドを捨てました。

 

2日目は何を捨てようかな〜と悩んだところ、先日の衣替えで「もう着ないな」とあらかじめ分別しておいた洋服の山!ここから手をつけて行きたいと思います。

 

洋服は買ったもののほとんど着ていない、もしくは、何年もずっと着続けているの二極化しています。

 

ほとんど着ていないものはフリマアプリで売っていくことにします。とりあえず1ヶ月は様子を見て、売れなかったらしかるべき対応をしていきましょう。

 

というわけで、今日の断捨離アイテムはこちら。

 

 

 

赤いワンピース

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この赤いワンピースは数年前、アメリカ買い付けの古着屋さんで購入したものです。とっても可愛くて一目惚れ。勢いよく買ったのですが、着る機会は少なく…。

 

ロングヘアをくるくる巻いていた時は、それはもうめちゃめちゃ似合っていたんですが、ショートカットにバッサリ切ってしまい、似合わなくなり。20歳も後半に突入したので、これを機に手放すことにしました。

 

いつまでも少女ではいられないので、ね。

 

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コロンとしたボタンがとってもキュート。アメリカのカントリー娘を彷彿させるコーデュロイなのもポイント。見れば見るほどカワイイ。着てないけど。

 

 

 

赤いワンピースと牧場デート

この赤いワンピースに白いタイツを合わせ、マーチンを履いて牧場デートしたことを思い出しました。

 

秋が深まり出し、黄色いイチョウ並木を眺めながら食べるソフトクリーム。

 

名残惜しい気もしますが、思い出は胸に仕舞っておくことにしましょう。思い出は物にではなく、心に宿るものです!

 

手放すと決めたはいいけれど、フリマアプリで売るというワンステップを設けてしまったので、三日坊主にならないか心配です。

 

大事に着てくれる人に、見つけてもらえますように。

 

 

ではまた。

断捨離ログ1日目、ヘアバンド

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夜逃げをしようとした。

 

最近、同居人との軋轢が生じている。もう半年は続いているかもしれない。何とか軌道修正しようとお互いに努めてはいるけれど、回復の兆しは見られない。

 

溜まりに溜まったストレスが爆発した。

このままだったら潰れてしまう、だから夜逃げをすることにした。陽はとっくに落ちている。家出先は、徒歩15分の実家だ。

 

 

帰って来て「どこに行ったんだろう…」とせいぜい後悔するがいい。そう意気込んで、必要な物を掻き集めた。

 

 

数日分の下着、靴下、寒さが続くのでヒートテック、もこもこのセーター、ちょっと薄手のセーター、しっかり厚めのセーター、休日のんびりするジーンズ、平日のんびりするジーンズ、ちょっとおめかしする薄手のワンピース、おめかししても冷えないニットのワンピース、寒い日が続きそうなのでタイツ、ファーのついたもこもこダウン、中にたくさん着込めるゆったりしたコート、肩が冷えないようにカーディガン、足元が冷えないようにレッグウォーマー、どこまでも歩いて行けるスニーカー、スニーカーの消耗を抑える為の予備のスニーカー、仕事で使うパソコン、パソコンの充電器、趣味で使うiPadiPadの充電器、スマホの充電器、何かあった時の為の通帳、やっぱり何かあった時の為の印鑑、更新していないパスポート、5年分書き込める日記、お気に入りの江國香織さんの本、返さなきゃいけない図書館の本、勉強中の参考書、解きかけの問題集、敏感肌に優しい化粧水、もちもち肌になる美容液、まつ毛を伸ばすための美容液、マスカラを落とすクレンジング、お風呂上がりのヘアオイル、乾燥を防ぐボディクリーム、コストコで買ったばかりのナッツ(1.2kg)…

 

 

だめだ、多すぎる。

 

ドラマなんかじゃ「実家に帰らせていただきます」なんていって、ボストンバッグ1つに詰め込んで出ていくけれど、あれは嘘だ。どう考えても海外旅行に行けるスーツケースが必要だ、それも2つばかり。

 

冬というのも時期が悪い。コートにセーターだけでもう、ボストンバッグには入らないのだ。家出をするなら夏がいい。

 

結局、自宅と実家(歩いて15分)を3往復した。2往復目の戻り道、赤信号を待ちながら「なんて情けない家出だ」と思った。

 

そして思った。

 

断捨離しよう。

 

身の回りに必要な物だけ、大切な物だけがある毎日にしよう。

 

 

という訳で今日から毎日1つずつ、物を減らしていこうと思います。

 

家出して1ヶ月。ワケアリで自宅に強制送還となり、現在は物に溢れた自宅にて日々を過ごしています。

 

実を言うと、断捨離は苦手な方です。

 

まだ使えるかも…とか、結構いい値段したからな…とか思って手放すことができません。人からいただいたのに全く使っていない物なんて、一体どう処分すればいいんでしょうか?

 

そんな日々の葛藤を、せっかくだからブログに残すことにしました。

 

 

ルールは簡単。

 

毎日1つ、使わなくなった物を手放す。

 

 

いやあ単純明快。難しいことは考えずに、毎日1つずつ手放していきましょう。

 

単に捨てるだけだと罪悪感もあったりするので、なるべく「使い切って捨てる」や「再利用して捨てる」「フリマアプリで売る」など、物に感謝して手放していきたいと思います。

 

何日後にどれくらいスッキリするのでしょうか。楽しみです。

 

 

ここで、現在の私の持ち物所在地をご紹介します。

乱雑で恥ずかしいけど、仕方ない!見栄を張らないというのも、ルールに追加しておきましょう。

 

 

 

クローゼット

洋服は主にクローゼットに収納しています。ごちゃっとしてます。 

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ワンピースがたくさんあります。

 

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これを撮った後に気づいたんですけど、衣替えしてました。

 

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面倒なので、パンツ類はポールに引っ掛けてます。

   

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右下にある謎の缶は、作ったけど使わない火起こし器です。

 

衣替えをしたばっかりだったので、クローゼットには春〜夏ものが掛かっています。春らしい色味はゼロです。

 

あとは、コート類は別のラックに掛けています。

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奥の方のコート、全然着てない気がする。

 

 

シェルフ

お次はシェルフ。服とか本とか小物類を置いてます。さらに、ごちゃっとしています。

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紙袋の中にはおそらく必要な書類たち。

 

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Tシャツや下着類もなぜかここに。

 

 

洗面所

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共有の場所。お互い香水とか置いてる

 

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化粧品類はこちら。ここを見せるのが一番恥ずかしいのはなぜだろう。

 

 

 

玄関

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今年は全然ブーツ履かなかったな。好きなのに。

 

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靴にこだわりのある人間になりたい。

 

こんな感じです。

 

全体的にごちゃっとしているんですね…。

 

「小物」で済ませた物たちの中には、用途不明な物もいくつかあります。そういうのが私の中で一番「ごちゃっとしている」印象があります。

 

いつか片付けなきゃいけないけど、まあいっか。と先送りにして来た物たち。罪悪感に形を変えて、日々の中に漂っているようです。

 

 

 

 

今日の手放し

早速ですが、今日の手放し品はこちら。

 

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なんだこれ??????

 

そう思った方も少なくないでしょう!私もそのうちの1人です!

 

実はこれ、ヘアバンドなんですね。洗顔するときに前髪をブワァって留める、あれです。

 

どこかのホテルか旅館で使って、そのまま持って帰ってしまったみたいで…。

 

しばらく使っていたのですが、最近はヘアピンを2個ぴっぴっと留めれば十分だということに気づいて、すっかり存在を忘れていました。

 

ホテルのアメニティを持ち帰って使っていては、ホテルのアメニティが似合う女になってしまいます。そうなっては危険です。お別れしましょう。

 

今までありがとう、の気持ちを込めて捨てました。

ん〜スッキリ!

 

ヘアバンドを無事に手放せました。幸先がいいですね!

 

この調子で毎日1つずつ、もう使わなくなった物たちを手放していきたいです。

 

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待ち受ける、山積みの服たち。

 

先は長いですが、のんびりやっていきたいです。

 

ではまた明日、お会いしましょう。

フランス語が分からないのに、フランス語吹き替えで『千と千尋の神隠し』を観た。

あれほどの世界的大ヒットを記録した『千と千尋の神隠し』について説明するのは、余りにも無粋だ。恐らく、誰もが知っているスタジオジブリの名作である。

本編を観たことがなくても内容を知っている、あるいは名前を聞いたことがある、という人がほとんどでは無いだろうか。

千と千尋の神隠し』が公開されたのは2001年らしく、当時私は小学生だった。

劇場で観たのか、あるいは金曜ロードショーで観たのかさっぱり覚えていないが、内容はしっかり把握している。当時、我が家にDVDプレイヤーは無かったにも関わらず、ちゃんとDVDまで持っている。不可解な話なのだけれど。

 

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今年の夏「一生に一度は、映画館でジブリを。」のキャッチコピーと共に、ジブリの名作が映画館で上映され話題になったのは、記憶に新しいと思う。

私も『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』の二作を観に行った。個人的に思い入れのある(ピアノの発表会で主題歌を弾いた)作品の『ゲド戦記』も観に行きたかったのだけれど、時間が合わず仕舞いで叶わなかった。

公開されていた4作品のうち、『千と千尋の神隠し』は正直に言うと、候補的には最下位だった。熱狂的に好きな作品という訳でもなく、何よりテレビでしか観たことのない『もののけ姫』と『風の谷のナウシカ』を映画館で観ることができるという魅力には及ばなかった。

だから、『千と千尋の神隠し』は私にとって「観たことある」「まあまあ好きな」「感動する」ジブリアニメでしか無かった。

 

ところが、ひょんなことから本作品の奥深さについて気づかされる。

「なぜ千尋は、豚の中に両親がいないと分かったのか」「振り向いたらどうなるのか」「ラストシーンで髪留めが光るのはなぜか」など、次から次へと湧き上がる疑問や、知れば知るほど好きになる豆知識を話し合うのも楽しい。しかし、今日は、そういうお話ではない。

私は『千と千尋の神隠し』を通して「日本に対する異国情緒」を感じてしまった。生まれも育ちも国籍も、何をとっても「日本人である」というのに。

そしてその「異国情緒」から国境を越えて届けられるメッセージに、強い切なさを感じずにはいられなかった。

 

最近、フランス語を勉強している。

というのも、言語学習には「1,000時間の壁」というのがあり、その壁を突破すると、人は新しい言語を自由自在に扱えるようになる、という噂だ。(というかデータはあるらしい)

日本の義務教育により、例にも漏れず「机上の英語」しか使うことのできない私は、視覚に頼る言語学習ではない「実践的な言語習得」に興味があった。

全く触れてこなかった言語で1,000時間もの勉強を積んだら、本当に話せるようになるのか?気になって仕方なかったので、かねてより憧れていた「パリ」へと思いを馳せ、フランス語に挑戦することにした。

そういう訳で、毎日3時間ほどコツコツと「聴覚」を重視したフランス語学習に励んでいる。単純計算すると、11ヶ月後くらいにはマスターできるはずだ。恐らく。きっと。

以前から使用している言語学習のアプリが、フランス語にも対応していた。そこで教材を選び、リスニングメインの学習をしている。

とはいえ、赤ちゃんとは違い文字を書く術を知っているので、リスニング→ライティングの方法で、より短期間で記憶を定着させている。やはり、手を動かし文字を書くことで言葉が形を持つようになり、頭に刻まれ易くなるようだ。

 

そんな中、私はふと『千と千尋の神隠し』のDVDを思い出した。『千と千尋』には、なぜかフランス語が収録されている。副音声が英語ではなく、フランス語なのだ。そのことが、初めてDVDを手にした小学生の頃からずっと疑問だった。それを急に思い出した。

内容は理解しているし、セリフもある程度は覚えている。フランス語を学習する上で、これ以上にないほど優れた教材であることは明白だった。

 

早速、DVDを引っ張り出し、本編を再生した。

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見慣れたキャラクターが、異国の言葉を喋っている。しかも、世界一美しい言語と言われているフランス語を、だ。

何だか、奇妙な感覚がする。姉御肌でサバサバしているリン姐さんでさえ、フランス語を話すと途端に色っぽくなってしまうのだ。恐るべし、フランス語。

まだまだリスニング力は足りないし「何言ってんだろう」とモヤモヤする部分が大半を占めてはいるのだが、学習初日に比べ「フランス語特有の音」に慣れてきた気がする。

例えば、フランス語は「発音しない音」が多い。hの音もそうだし、語尾も発音しない。Chihiro(千尋)なんてhのオンパレードなものだから、私たちの想像する「チヒロ」で構えていると、全く気づかずに過ぎ去っていく。

フランス語を読めるようになるのではなく、フランス語を話せるようになるという意味でのマスターを目標にしているので、文法的なことは後回しにして、とりあえず「音に慣れる」ことから始めている。

 

毎日、10〜30分に分けて『千と千尋の神隠し』を観ているのだが、最後まで一通り観終わった時に、私はとても感動していた。つま先から手の先までゾワゾワするし、胸の奥がどうしたって痛いのだ。

なぜだろう。日本語で観ている時よりも、ずっとずっと胸が痛い。日本語で観ている時の方が明らかに内容も、文化も、描かれていない本質的なところまで理解できるはずなのに、私はこれまで何にも理解していなかったことに気づいた。

フランス語で話す彼らの言葉は全然理解できないというのに、この作品が語りかけてくる「愛や成長」の本質は、痛いほど理解できた。

 

フランス語にも訳されている事実を見れば一目瞭然だが、『千と千尋の神隠し』は世界中で大ヒットした。

日本語を学習している人に会えば「ジブリだと、千と千尋が好きかな」という話になることも多い。それくらい、世界中で愛されている物語だ。

台湾の九份という場所が舞台になったとも言われている。私も訪れたことがあるのだけれど、確かに「千と千尋だ!」と思った。

千尋が働くことになる「油屋」にそっくりな旅館が日本にもあり、それらも作品の舞台になっていると言われていることを考慮しても、やはり、台湾や中国に寄ったアジアンテイストが背景から滲み出ていると思う。

日本や韓国とは違う、同じアジアで生きているからこそ気づく、微妙な類似と相違。まあ、あくまで個人的な意見でしかないのだけれども。

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一方、神様たちが訪れる「油屋」は温泉旅館である。大浴場や宴会場のシーンでは、胸がギュッとなる懐かしさを感じるのではないだろうか。

千尋が湯婆婆の元へ向かう道中、エレベーターが宴会場のあるフロアで一旦停止するのだが、その光景に、懐かしさに似た「切なさ」を感じた。誰もいない廊下。閉まりきっている障子。障子に落ちる人の影が揺れている。部屋の中から聞こえてくる、楽しそうなどんちゃん騒ぎ。

今日は会社の忘年会。早く帰りたいのに場はお酒が進み、なかなか帰れそうにもない。お手洗いから戻り、廊下でTwitterをチェックする。ああ、戻りたくない。帰りたい。

そんな切なさだ。

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話が脱線したが、つまり全体的に中国や台湾に似た情景であるにも関わらず、宴会や温泉といった文化的描写が、私たちに「異国情緒」と「懐かしさ」を与えているのだろう。

これは決してフランス語で観ていたから、という訳ではない。この作品が与える印象は、奇妙さと懐かしさが絶妙なバランスで成り立っている。日常でもあり、非日常でもある。これより前は故郷だけど、ここから先は異国の地。本作品の鍵でもある「神隠し」は黄昏時に起こる。ここから先は夜の世界。ここから先は、死者の世界。

日本というアジアで生まれ育ち、日本というアジアを理解しているからこそ味わうことのできる「違和感および共感」を前提とした上で、本題に戻る。

私はフランス語で『千と千尋の神隠し』を観たことにより、あろうことか日本に対しても「異国情緒」を覚えてしまったのだ。

 

それは恐らく、彼らが喋るフランス語が、私と作品の中に壁を作ったから。もっと言えば、理解できない他国の要素を自ら取り入れることで、親しんでいたはずの『千と千尋の神隠し』を見慣れないものへと変えてしまった。

なぜ『千と千尋の神隠し』が日本の歴代興行収入1位を記録しているか、それはネットで検索したらまとめている人がたくさんいるので、そちらを参考にしていただきたいが、私は世界中で愛されている理由の方が気になった。

世界中の人はこの作品に、何を感じ、何を学ぶのだろう?

イギリスやフランスなど遠い国から見た「日本」は、結局アジアの中の一部でしかないだろうし、この作品から得る印象は詰まるところ「アジア」でしかないと考えている。

どう頑張ったって、深く調べたり実際に訪れたりしない限り、細かい違いなど分からないのだ。フィンランドスウェーデンの違いも、北欧家具について関心を持たなければ、一生分からないままだったかもしれない。東京の人に「広島って九州?」と訊かれたことすらある。

前述したように、この作品に散りばめられたアジアンテイストは数種類ある、というのが私の抱く印象であり認識だ。しかし、フランス語で鑑賞すると事態は一変し、私にとってこれら全てが「同一のアジア」でしかなくなる。

ああ、日本の女の子ってこんな服着てるんだ。へえ、日本人はアウディが好きなのか。ほう、日本の温泉旅館はずいぶんと豪華だな。なるほど、日本はこんなにも多くの屋台が並んでいるのか!

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母国語ではない言語を通して作品を観ることで、私自身が一旦「アジア」の外へ出ることができたのかもしれない。そしてアジアの一部である自分の中の文化的背景や状況理解が追いつかず、作品をノンバーバルな観点から素直に向き合うことができた結果、日本語で観た時よりもずっとずっと深いところで感動したということだろうか。

もちろん、言語が分かればストーリーに対する理解も格段に上がるだろう。しかしこの場合、それはさほど重要な事実でもない。なぜなら私は何度もこの作品に触れ、何度も何度もこの物語のメッセージを受け取ることができているから。母国語である日本語で。

英語だとどう表現されているのか。中国語なら?あるいは、フランス語をもっと理解できるようになったら、違った印象を受けるのだろうか?

最も理解のしやすい母国語で語られる作品に、母国語であるという油断から、本当の意味で言葉と向き合っていなかったのかもしれない。言葉が持っているもっとずっと素敵な意味合いを、深く考えずとも知ったような気になっていたのかもしれない。

容易には理解できない「不慣れな言語」だからこそ、言葉を介さなくても物語のメッセージに気づくことができた。それはアジアというフィルターの外側にいる人間、つまりは国境を越えた全ての人間にも十分届くほど、強い強いメッセージだった。

物語のラスト、千尋は無事に元の世界に戻れる。すっかり元どおりになった景色に振り向きそうになるが、トンネルを出るまでは振り向いてはいけないというハクの言葉を思い出し、踏みとどまる。

 

日常に戻れる代わりに、千尋は全て忘れるのだ。

あの不思議な世界で起きたことも、出会えた喜びも、不甲斐なさも、思い出すことの愛おしさも、全部、全部。

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思い出せないだけで、決して忘れることのない出会いが、人を強くする。

 

そんなメッセージを、世界中の人たちがそれぞれの言語で受け取り、幸せな気持ちになれたことを想像すると、私はやっぱり、胸の奥が痛くて仕方がないのだった。

中国と日本の違いに触れる「広州夜話」【読書感想文】

今は昔、竹取の翁という者ありけり。

野山にまじりて竹を取りつつ、よろずのことに使いけり。

名をば、さぬきの造となん言いける。

 

その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。

あやしがりて寄りて見るに、筒の中光たり。

それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうて居たり。

 

 

 

皆さんご存知、かぐや姫の元となった「竹取物語」の冒頭。

表記は正式なものと多少違えど、おそらく文はあっているはず。

(確認したところ、合っていました)

 

 

私はよく、この文章を思い出しては呟いてしまう。深い意味はない。

 

他にも、祇園精舎の金の声でおなじみ「平家物語」や、春はあけぼの…と続く「枕草子」なども冒頭の段落は覚えている。

 

誰に聞かせるわけでもなく、口から古典が流れ出るたびに「よく覚えているね」と感心される。

 

そりゃあだって、覚えているに決まっている。

あんなに何度も繰り返し、学校で暗記させられたのだから。

 

期末試験の設問が丸ごと「竹取物語の冒頭部分を、全文書きなさい」だなんて、やっつけ仕事のひどい教師もいた。

 

多くの人が学校でこの古文を暗唱させられたにも関わらず、今でもしっかり覚えている人はそれほど多くない。と、思う。

 

 

中国人と古典文学

 

中国では、小学校で300篇もの詩を暗記するという。

長い歴史を誇る中国では、唐詩や漢詩など、時代を表す詩が多く存在する。

 

暗記する点で言えば、日本人学生と一緒かもしれないが、この「広州夜話」に登場する李利(リリ)はちょっと違う。

 

暗記しているだけでなく、その詩にまつわるエピソードも覚えている。さらには、自分の解釈もきちんと交えている。

 

とある商社に務める加園さんは、中国駐在の時に体験した何気ない日常を、この「広州夜話」の中に綴っている。

 

 

話が語られるのは、広州にある日本料理バーの「羊城」

そこで働く女の子が、李利。

 

 

冒頭のエピソードを、少しだけご紹介。

 

 

春眠あかつきを覚えず

 

香港に近い場所に位置し、冬でも最低気温が9度という亜熱帯の街、広州。

だんだんと春が近づき、暖かさを覚える。

しかし、春の訪れと共に、蚊も活発に動き出す。

 

著者である加園さんは、夜中に何度も蚊に刺され、痒くてしかたがないと、李利に愚痴をこぼす。

 

そんな李利は、こう返した。

 

春眠不覚暁(春眠あかつきを覚えず)

処処蚊子咬(あちこち蚊に食われる)

 

これは、孟浩然の「春暁」という唐詩を元にした替え歌だそう。

処処聞啼鳥(チューチューウェンティーニャオ)と

処処蚊子咬(チューチューウェンズヤオ)を語呂合わせしているとのこと。

 

すぐにこの詩が出てくる李利は賢い子なんだな、と思ったけれど、その次の会話にもっと驚いた。

 

孟浩然のこの「春暁」は唐詩の中でもトップクラスに入る名詩です。みんなが知っているからこそこんなふうに悪戯して、そう、替え歌にして遊ぶの。

 「広州夜話」広州の娘たち より

 

 

みんなが知っているからこそ、こんな風に替え歌にして遊ばれる。日本との違いを感じてしまった。

 

私たち日本人(少なくとも私は)暗記しただけで、遊んだ記憶なんてない。暗記するのすら大変で、遊んでる余裕なんてなかった、と思う。

 

さすが300もの詩を暗記する、中国の小学生…。というか、300もの詩を覚えろって言われたら、こうやって遊ばないと気が遠くなるのかもしれない。

 

この「春暁」のエピソード以外にも、日本が大好き李利ちゃんは、流暢な日本語で、漢詩や唐詩の解釈を教えてくれる。

 

中国の詩や文化について知ることができると同時に、随分と固定観念を持って「中国」という国を見ていたことに気づく。

 

中国は、私が思っている以上に発展しており、それでいて、まだまだ途上な国だった。

 

 

 

この本の中で一番気になったのは、バーで働く中国人の女の子たちと、著者の会話が少しセクハラの香りがするところ。

 

やらしい会話、というのはどこにでも存在するのだけれど、そうじゃない。

なんだか、こう、古臭い言い回しが多い。

 

言葉を選ばないとするなら「え、きも」って思ってしまう場面も多々あった。なんというか、シンプルにきもい。そんな表現。

 

まあ、仕方ないよね、昭和の時代なんだろうな…

 

そう思って開いた最後のページに、目を疑う。

 

 

<著者紹介>

・・・・・・・・・、2011~12年、中国の広州に駐在。

 

2013年 8月 第1刷 発行

 

 

 

日本も思っている以上に発展していて、それでいて、途上のままだった。

 

 

とはいえ、中国の古典文学についてはとても勉強になるので、気になる方はこちらからどうぞ。

 


 

 

 

 

【読書感想文】パリジェンヌのつくりかた

高校三年生の進路面談にて「フランスで牛乳配達をしたい」と言ったことを、はっきり覚えている。

 

進学校であるからには、大学進学をしてもらいたい。

そんな気持ちを隠せない教師は、困り顔で答えた。

 

「とりあえず、フランスに留学しやすい大学に行ってみたら?」

 

 

それから数年が経ち、フランスどころか、福岡さえ出ないでいる私が、本屋でふと足を止めた。表紙が、こちらを向いて置かれている。本には「パリジェンヌのつくりかた」と書かれていた。

 

 

パリジェンヌ。

それは、パリで生まれ育った女性のこと。

 

かつて、フランスに住みたいと強く願った私の心を、その言葉が揺さぶる。

 

 

パリジェンヌ、という言葉には不思議な魔力がある。

その言葉のうち、最も印象に残るのは「ヌ」一文字というのも、なんだか魅力的。

 

そんな憧れてやまないパリジェンヌになれる方法が、2,000円ちょっとで手に入るのなら、読んで損はない。

 

というか、読んで損をする本なんて、この世には無いとさえ思っている。

どんなに内容の薄い本でも、どんなに退屈な本でも、書き手は「書いた時点」で読み手を超えている。読む側は、読んでいる以上は永遠に「読み手」でしかない。

 

つまんない本だったな、と思うのなら、その本を超える何かを書けばいい。

それができないのなら、読んで損をしたと思えないのだから。

 

そもそも、読んで損したなんて発言は「自分には、自身の体験と照らし合わせる経験値もなければ、深めるための読解力もありません」と言っているようなものだ。

 

 

さて、期待を胸に、さっそく「パリジェンヌのつくりかた」を読んでいく。

 

程よい挿絵と、スタイリッシュな印象を受けるページの余白。

 

この「余白を良しとする文化」は、iPhoneが世に出てから一気に強まったと思う。

 

Apple製品のCMに使われるフォントや、白い画面の真ん中に置かれる、パンチの効いた一言。

 

知らず知らずのうちに、それらで構成されるものが「新しい」ものであり「かっこいい」ものである、と認識しだした。

 

 

シンプルというのは、必要なものしか残らなかった結果である。

ライフスタイルでも、シンプルさというのは忘れてはいけない要素だと思う。

 

そんな、洗練されたページのレイアウトとは打って変わって、文章の内容はとても複雑だ。なぜなら、これはパリジェンヌのつくりかただから。パリジェンヌというのは、尻尾を振る子犬ではない。 

 

筆者は4人のパリジェンヌ。職業もライフスタイルも全く違う。共通しているのは「パリジェンヌ」ということだけ。

 

 

そもそもパリジェンヌってなんだ?

読む進めるうちに疑問がわく。

 

パリで生まれ育った女性のこと。

その土地で生まれ育った女性には、その土地の特徴がよく出るのだろうか?

 

それなら、私は生粋の福岡ジェンヌだ。

生まれも育ちも、ここ、福岡。

 

福岡にはプライドがある。

だけどそれは余裕的なもので、負けん気の強いものではない。

 

たまに東京の人から田舎者扱いされるけれど、構わない。東京には、そこら中にマヤカシが存在するから。賑やかな街に、マヤカシは付き物だ。

 

だけど、福岡にはマヤカシはない。憧れるような夢もなければ、焦るような廃れもない。ただ、現実があって、その中でそれぞれが生きている。そんな街。

 

福岡=都会と言われれば、田舎の良さもあるんだと主張し、田舎と見られれば、途端に都会アピールをする。

 

都会であり、田舎である。矛盾するようだけれど、仕方ない。

 

 

パリジェンヌと福岡ジェンヌの違いはなんだろう?

 

読み進めているうちに、何度も出会う言葉に気づいた。

「母から教わった」「古くからある」「代々伝わる」などの、いわゆる「伝統」だ。

 

パリジェンヌは、その家に伝わるものを大事にする。価値があるものは、高価なものではなく、歴史があるもの。

 

ブランドものを身につけるより、おばあちゃんから受け継いだネックレスを大事にする。そういう世代を繋ぐ「伝統」を大事にする。モノだけではなく、レシピや考え方なども。

 

 

福岡ジェンヌにも、伝統精神はあるのだろうか?

 

私の父と母は、福岡にはルーツがない。父は沖縄で、母は鹿児島にゆかりがある。それが原因か分からないが、我が家にはちょっと変わった文化がある。

 

まず、年越しそば。当たり前のように、年の暮れには沖縄そばを食べていた。

それから、そうめん。薬味としてワサビ以外の選択肢を知らなかった。

 

鹿児島は関係ないけれど、母はカレーにジャガイモを入れるのを嫌う。

我が家のカレーには、ジャガイモは絶対に入らない。これからも。

 

これらの我が家文化、きっと他の家にも多く存在するはず。どんなものがあるかは知らないけれど、それらはあなたを構成してきたものの1つだ。

 

 

誰もがパリジェンヌと同じく「伝統を大事にする」精神を持っているのか?

 

 

問題はここからだ。

それらの「我が家にしかない文化」を、誇りに思っているかどうか、だ。

 

パリジェンヌの、伝統を大事にする気持ちを読みながら、気づいた。

私は間違いなく、我が家の文化に誇りを持っている。

 

 

それは、慣れとは少し違う。

 

 

「そういえば、小さい頃、カレーにジャガイモは入ってなかったんだよね〜」なんて思い出話にしてしまうつもりは、全くない。むしろ、今でもカレーにジャガイモは入れない。

 

それは、習慣ではなく、伝統だから。我が家のカレーにはジャガイモは入っていない、と認識して作るから。

 

沖縄そばの年越しそば。ワサビ一択のそうめん。習慣ではない。他との違いを認識している。これは我が家の文化だから、これが我が家だから。

 

小さい頃よく言われた「よそはよそ、うちはうち」

今思えば、この教えも、立派な伝統だった。母がその母、つまりは祖母から言われて育ったに違いない。

 

私がお母さんになったら、なんでも買ってあげる。

よその子より、寂しい思いはさせない!

 

なんて、子供ながらに思っていたけれど、今となっては断然「よそはよそ、うちはうち」なのだから、伝統というのは根強い。

 

 

パリジェンヌだって、努力する

なんだ、パリジェンヌも福岡ジェンヌも、対して変わらないじゃないか。

本を読み終えた頃には、そう思うようになっていた。

 

中でも、いちばん印象に残ったのは「パーフェクトな身体ではなくても、その身体でベストを尽くすしかないのだ」という一文。

 

 

憧れのパリジェンヌになりたくてこの本を手にした私に、衝撃が走る。

 

そうか、パリジェンヌが美しいのは、パリにいるからじゃないんだ。

パリにいる自分を、愛しているからなんだ。

 

私は無い物ねだりな性格なので、〇〇になる方法という検索をよくかける。(現に、パリジェンヌになろうとしてこの本を買っているわけだが)

 

あるいは、可愛い洋服を雑誌で見かけても「でもこれは、モデルさんが可愛いから似合うのであって…」なんて結局あきらめてしまう。

 

どうやらそれらは、自分を最も遠ざける行為だったみたい。

 

憧れの自分に近くには、まず、自分と向き合うことが大事だ。

足りないものを補うよりも、持っているものでどうにかしてみる。

 

そんな努力を繰り返す前に、あれになりたい、これになりたい。そんなのは、間違っていたらしい。

 

今の自分をまず、愛してみよう。

そう思った時、この面倒な性格も少しは愛せそうな気がしてきた。

 

 

変わり者でありたいと同時に、一般的でありたい。

冒険していたいと同時に、安定もしていたい。

努力していたいと同時に、何もせずに手に入れたい。

健康的でいたいと同時に、病弱で浮世離れしていたい。

 

 

一見、矛盾するものを抱えているけれど、仕方ない。

矛盾というのは、どちらも持っている者の特権だから。

 

どちらか片方しか持てない者には、永遠に悩むことのない問題なのだ。

 

 

結婚、遊び、仕事、恋愛。

パリジェンヌは、それらを定義しない。

いつだって「自分のやり方だけが、自分のやり方」だ。

 

パリジェンヌのように美しく、強く、それでいて自然体でいるということは、自分を疑わず、自分に忠実に生きるということ。

 

そんな生き方を手にするために、まずは自分だけのルールを作るところから、はじめてみようかな。

 

▽▽ パリジェンヌのつくりかたは、こちらから ▽▽

 


 

 

 

※これから、読み終えた本を【読書感想文】カテゴリーにて投稿していきます